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【小説】Clach of Clans~心の証~

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【プロローグ】

 ふわり、ふわりと桜が舞う。散り逝く花を愛しく見つめ、涙を流す。

(アチャコ……)

 漆黒の瞳に橙色をした髭のスキンヘッド。

 人ならざる者はその情景に幻影を描く。

 絹のような美しい赤髪としっとりとした白い肌に輝く青い瞳。愛しい娘の姿を──。



【第1章 ジャイとアチャコ】


 雪の上に紅い花が咲いていた。
 その側に立つのは橙色の髭に漆黒の瞳を持つ人ならざる者──巨人。

 巨人は涙していた。
 恐怖の存在として伝えられている巨人の涙。それは降り注ぐ白い雪のように儚く優しいものだった。

 今し方、その巨人の体の一部となった女は早くに夫を亡くし、その忘れ形見として大切に育ててきた息子を病で亡くした哀れな女だった。

 そうして、生きる光を失い死に魅入られ巨人のもとへと来た。

 いつもそう。巨人のもとを訪れる者は皆、死に魅入られていた。巨人はそれを受け入れ、人を食す。そして、その者のもつ深い悲しみを体の中に宿し涙するのだ。

 今もそうだった。生きる希望を失った人間の深い悲しみを想い涙を流していた。

「人は悲しい生き物だ……」

 低い──けれども、風に消えることなく優しく響く声音。

 それに返す声があった。

「あなたの言うとおりだわ」

 それに驚いて声のする方を見やれば、そこには一人の少女がいた。

 赤く艶やかな髪に意志の強そうな瞳。黄緑のワンピースに緑のマントの弓兵装束に身を包んだ少女だった。脇には弓矢が抱えられてる。自分を討ちに来た者なのだろう──と巨人は静かに瞳を伏せた。

「あなたの名前は?」

 けれど、その弓兵は弓矢に手をかけることなく巨人に名を訊いてきた。
 予想外の反応に巨人は驚く。

「お前は村を守る弓兵だろう?」

「そう……でも、私はあなたを討つつもりはないわ」

 少女はそう言うと、春の木漏れ日のような笑みを浮かべた。

「私の名はアチャコ。あなたの名は?」
「……ジャイ……」

 不思議な娘だった。

 人を喰らう巨人である自分を恐れることもなく笑いかける。巨人を討つために存在するはずなのに、彼女はそれをしようとはしなかった。

 それが、アチャコとジャイの出逢いだった──。



【第2章 その瞳に潜む影】


  時は流れ、白い雪が土へと還り、生命の息吹が顔を出し始めた頃、少女、アチャコはまた彼の前に現れた。

「ジャイ」

 彼の名を呼ぶものなど久しくいなかった。その名を呼ばれ、橙色の髭の巨人──ジャイは驚いたように振り返る。

 ここは村外れの奥にある山、天宮山。

 その中でも春になると多く桜が咲き乱れる場所がある。村の者はそこを桜塚と呼ぶ。

 しかし人はそこに寄り付こうとしなかった。巨人がいるからだ。人を喰らう巨人が住み着いているから怯えて近づくことができないのだ。なのに、少女は一人でそこに立っていた。

「アチャコ……」

 あの雪の日の出逢いから少女のことが頭から離れることは一時もなかった。弓兵でありながら自分の名を問うた不思議な娘のことを忘れられなかったのだ。

 今日は弓矢を手に持つこともせず、代わりに何かを大事そうに抱え、少女は立っている。

「何故、ここに……?」
「どうして? 来てはいけなかった?」

 驚き問う自分に対して、反対に不思議そうに言われ、複雑な心境になる。それもそのはずだ。人にとって巨人であるジャイは敵なのだから。

 しかも、この少女は村を守る弓兵だ。それなのに自分に近づこうとする心がわからなかった。

 言葉を見つけることのできずにいるジャイをさして気にとめることもなく、アチャコはジャイに歩み寄る。

 そこには恐怖や怯えさえも感じられない。

「お饅頭を持ってきたの。食べる?」

 予想のつかないことばかりを言う娘だ。
 人を喰らう巨人である自分に食べ物をすすめるなんて。

「こういったものは食べられないの?」
「いや……」

 戸惑いを隠しきれないまま、ジャイは一言返す。それがやっとだった。

 そんなジャイにアチャコは「よかった」と笑うと地面に風呂敷を広げ、腰を降ろす。

「ジャイも座ったら?」
「……」

 巨体であるジャイはちっぽけな風呂敷だな、と思いながらも言われるままに、アチャコの隣に座る。

「はい、食べて。おいしいから」

 座ると同時に手渡された饅頭はほのかに暖かかった。それは、アチャコが屋敷からずっと抱えてきたせいだろう。ジャイは不思議な想いでそれを口にした。

「ねぇ」

 不意にアチャコが口を開いた。

「どうして、あなたは人を食べるの?」
「……わからぬ。けれど、私の体は三ヶ月に一度、人を食さねば保てない。何故、人でなければいけないのかはわからぬ……」

 この饅頭のような食べ物や木の実を食すこともできる。けれど、三ヶ月経てば体が訴えるのだ。人の血肉を……と。

「生きるため、なのね」

 答えたジャイにアチャコは切なく瞳を伏せた後、笑んだ。

「たまにここに来てもいいかしら?」
「何故……?」
「あなたのことをもっと知りたいから」

 真っ直ぐに自分を見つめるアチャコの瞳にジャイは見入る。

「私を……知りたい?」
「そう、私はあなたを知りたい──駄目かしら?」

 赤く長い髪をさらりと靡かせ問うアチャコにジャイは笑った。自分でも気づかぬ程、自然にこぼれた笑みだった。

「物好きな娘だ。……好きにするがいい」
「本当に?」
「あぁ……」

 アチャコは嬉しそうに微笑んだ。その表情の中に微かな孤独をジャイは見る。幼くして弓兵として崇められている少女の中に潜む影をジャイはその時感じとったのだった。

 片手の指の数もいない貴重な弓兵であるアチャコが村を抜け出すことは容易なことではなかっただろう。しかし、彼女は三日と間をあけずジャイに会いに来た。

 交わす会話は他愛ないものばかり。その日の天候や芽吹いた花についてなどの優しい会話。二人で過ごす時は穏やかだった。



【第3章 巨人の涙】


  春の風へと移り変わり、桜が咲き乱れるある夜のこと。

「夜桜が見たくなったの……」

 そう言って桜塚を訪れたアチャコにジャイは問うた。ずっと、胸の内にあった問いを。

「お前は私が怖くないのか?」

 その問いに、隣で桜を見上げていたアチャコは静かに首を振り、ジャイの手へとそっと触れる。
 そして、さも不思議そうに問い返した。

「どうして?」

 ジャイは緩やかに瞳を細め、アチャコの手を取る。夜風のせいだろう、ひんやりと冷たい手が心地よい。

「私は人を喰らう巨人、恐がらぬ方がおかしいのだ。……アチャコ、お前は不思議な娘だ」

 初めて出逢ったあの日、アチャコは雪の上に紅い花を見たはずた。

「お前は見たのだろう? 私が人を喰らう姿を。私はいつかお前を喰らうかもしれぬ。なのに何故、お前は怯えぬ?」

 唇を飾る紅のような血。雪に染み入る鮮血の花。

「それにお前は村を守る弓兵。お前は私を倒すために存在するのではないのか?」

 その言葉にふわり、と舞う桜のようにアチャコは微笑む。

「私は知っているわ。あなたは私を喰らうことはないと。あなたは必要以上の食は取らない。それに私はこう思うのよ」

 ジャイの手に触れていた手をそっと空にかざし、花びらを受けとめる。

「人も獣も草も木もすべてが魂を持つ。生きるために何かを食すこと、それは自然の理。生の連鎖は止められない」

 手に受けとめた桜を儚い瞳で見つめ、アチャコは静かに言う。

「あなたは優しい巨人。人を食すときに流す、あなたの涙を私は美しいと感じた。私はあなたを倒すために存在するのではないわ。私はあなたを救うために存在するのよ」

ふわり、ふわりと桜が舞う。美しき娘の言葉が優しき巨人の心の琴線を弾き当てる。

 緩やかな弧を描き巨人の頬に銀の雫が伝う。

「……これは何だ?」

 頬を伝う雫に触れ、不思議そうに問う。

「私は何故、泣く?」

 その問いに少女は微笑むと幼子に聞かせるようにそっと語る。

「あなたはきっと、長い歳月の中で淋しさを忘れてしまうくらいに、淋しかったのね。これは涙、心の証よ」
「心の証?」
「そう、あなたの心の証……」

 自分を見上げる人間の少女の言葉。その存在に愛しさを感じる。

 心の奥深くへと沈んでいた感情を再び与えてくれた少女が愛しくて、ジャイはそっとアチャコを引き寄せ抱き締めた。


 ──けれど、ジャイは知らなかった。アチャコのおかれている状況の厳しさを。



【第4章 憑りつかれた弓兵】


 村ににわかに流れる噂があった。

 それは人から人へと伝わり、小さな村を満たしていった。

「聞いたか?」
「あぁ、もちろんさ」

 畑仕事の帰りなのだろう。鍬を担いだ男が二人、道の往来で会話を交わす。

「アチャコ様が巨人に憑りつかれたって話だろ?」
「やっぱり、あれは本当なのか?」

 担いでいた鍬を肩からおろし、道につくと男は頷く。

「みてぇだな。俺もこの間、アチャコ様が天宮山に入っていくところを見た」

 その言葉にもう一方の男が絶望的な表情を見せた。

「巨人に憑りつかれたとなりゃ、アチャコ様はもう駄目だ」
「あぁ。村を守るのがお役目だってのに……」

 夕暮れに交わされる噂話は時に悲愴に満ち、時に深い怒りの感情と共にささやかれ続けた。

 そうして次第に、アチャコの住む城の中にも不穏な空気は充満していった。

 アチャコが度々城を抜け出すようになったのは事実。城の者はそれを何度も止めたが、アチャコはその目を盗んでは抜け出していた。

 何処へ行っているのかと問い詰めたこともあったが、意志の強いアチャコが口を開くことはなかった。

 そんな折りに流れた噂。城に住むものたちはあわてていた。この噂が本当ならば、村の者になんと言えばよいのか。アチャコの居ぬ間に話し合いの場がもたれ、この不祥事を早急におさめるための対策が練られた。そして、それはアチャコに告げられる。

「アチャコ様、このままではまた村の者に犠牲がでます。早急に桜塚の巨人を仕留めていただきたい」

 この村の長であるチーフは凛とした口調でこの村の弓兵、アチャコに申し出た。巨人に憑りつかれた──という噂があるのならば、アチャコにその噂の元凶である巨人を倒させれば問題はない。そうすれば、すべてはただの噂だったのだということで済まされる──そんな交錯の入り乱れた申し出に、アチャコは何も言葉を残すことのないまま、ワンピースのスカートをさらりとなびかせ立ち上がる。

「アチャコ様っ!」

 チーフは無言のまま去ろうとするアチャコに向かい、厳しい声音を上げる。どこか、責めるような響きがそこにはあった。しかし、それでも歩みを止めぬアチャコの背中に落胆のつぶやきを落とす。巨人を倒さぬということ、それはすなわち噂が本当であると認めることになるのだから。

「このままでは御方の身まで危険だというのに……。次の犠牲がでれば、村の者はあなたを許さない。巨人に憑りつかれた弓兵を……巨人と通ずるアチャコ様を村の者が許すはずがないっ!」

 憎しみとも悲しみとも言える声音が物悲しく響いて消えていった──。



【第5章 愛しき者よ】


 部屋へと戻り、一人静かに庭の景色を眺めアチャコは考えていた。美しく咲き誇る椿やつつじの花に癒やしを求めてみたが、心の切なさは増すばかり。先程のチーフが言った言葉の意味をアチャコは知っていた。もちろん、村に広がっている噂も知っている。しかし、アチャコには理解できない。何故、あんなにも悲しみに落ちた者を討たねばばいけない?

「私には、力なんてない……。村の者も、ジャイも救えない。自身さえも救えぬ私に何ができるというのだろう……」

 幼い頃、身に宿る神力故にこの城に引き取られ、弓兵として育てられてきた。村の者を救うことが弓兵の役目ならば、自分は失格だ。巨人の涙を見たアチャコには巨人を打つことなどできない。

 それになにより、アチャコにとってジャイはかけがえのない存在となっていた。自分を対等に扱ってくれた唯一の存在。

「ジャイ……」

 そっと名をつぶやく。

 優しい巨人の名を……。
 愛しい者の名を……。



【第6章 巨人狩り】


 その日の夜、アチャコの知らぬところでまた話し合いの場がもたれた。城の最奥。アチャコの部屋とは正反対に位置する場所で。

 部屋を仄かに照らす炎が五人の男たちとアチャコ以外の弓兵の影を揺らす。村の代表者ともいえる顔ぶれ。もちろん昼間、アチャコに巨人を討つよう申し出たチーフの姿もそこにある。

「アチャコ様はやはり、巨人に憑りつかれておった……」

 そのチーフの言葉にざわりと場が騒ぐ。

「なんということだ!」
「やはり、噂は本当だったのか……」
「このままではまた村の者に犠牲が……」
「アチャコ様は一体、何を考えておられるのだ!」

 おのおのが不安や戸惑いを口に出す。

 チーフはそれを諫めるように咳払いを一つ落とす。
 それにより、場に張りつめた緊張感が戻った。

「このまま黙って村の者に犠牲者を出すわけにはいかぬ。アチャコ様が使い物になるぬ今、我々がどうにかせねばなるまい」
「しかし、一体どうやって? ……相手は恐ろしい巨人ですぞ?」
「わかっておる。一人ではどうにもできぬかもしれぬ。しかし残った弓兵様と村の皆で力を合わせればきっとどうにかなるはずじゃ。もう、それしか道は残されておらぬ……」

 沈痛な面持ちで語るチーフの言葉に静かな沈黙が落ちた。

 部屋を照らす炎がゆらゆらと影を踊らせる。

「──わかりました」

 一人の男が口を開いた。

「早急に他の弓兵様との話し合いの場を持ち、その旨を伝えることが必要と私は思います。他の者はどうだ?」

 問われ、閉口していた三人も真剣な面持ちで頷いた。

  こうして、アチャコの知らぬ所で巨人狩りの話は進められていった。

 水面下で進められている巨人狩りの話を知ることもないまま、アチャコは相変わらず城を抜け出してはジャイのもとを訪れていた。

 けれど、桜ももう終わりを迎えようとしていたある日のことだった。

 アチャコの叫び声が城の中に響いた。

「出して! ここから出して!!」

 朝、目覚め着替えを終えたアチャコを女中が捕らえ城の奥にある食料庫へと連れていった。そうして、何が起きたのか理解する間もないまま、アチャコはそこに閉じ込められたのだ。

(どうして? 一体、何が起こっているというの?)

 初めはただ戸惑い驚いていた千砂だったが、ふと頭をよぎった考えに顔色を変えた。

(もしかして、ジャイを!?)

 自分が巨人を討たぬとなれば、村の者が討つしかない。そのために邪魔な自分を押し込めたのではないか。そう考え、ざわりと胸が騒いだ。

「出して!」

 木で出来た扉を必死に叩く。時折、木のささくれが手に刺さり痛みを感じたが、そんなことにかまっている余裕などなかった。

 アチャコの悲痛な叫びが響く。

「どうして……どうして、誰も知ろうとしないの!? 彼は確かに人を食す。けれどそれは私たちが木の実や動物を食べることと同じこと。生きるために必要なことなのよ!」

 わかっている。
 こんな理論めいたことですべてが解決されるわけないことは。でも、知ろうともせず、ただ憎しみだけをもってあの優しい巨人を責めてほしくなどなかった。

「ジャイ……っ!」

 ミシミシと木の扉が揺れる。
 アチャコはありったけの力を込めて、細い体で扉に体当たりをする。顔には苦痛の色が見られた。それでも、アチャコは諦めなかった。今、彼を……ジャイを護れる者は自分しかいないのだから。

「私は、ジャイ……あなたを殺させたりなんかしない」

 すぅっと息を吸い、再度体を扉にぶつけようとした時だった。

 視界の端に映ったものにぴたりと止まる。

 たぶん、巻割りのためのものなのだろう。アチャコは痛めた肩を手で押さえながら、目立たないように置いてあった斧の方へと歩み寄り、それを手にとる。

 痛めた細い腕にそれはとても重く感じた。けれど、それを振り上げ扉を打ち壊す。何度も何度も振り上げては壊し続けた。

 手は痺れ、汗が頬を伝い落ちる頃、ようやくかろうじて通り抜けることのできる道をつくることができた。

「ジャイ!」

 アチャコは休むまもなく、斧を置くと桜塚を目指し走り出した。

 その頃、村の者たちは巨人を打ち倒すために集まっていた。
 チーフの声が響く。

「村を守るために集まってくれた皆の者に感謝する。憎き巨人を倒し、村に平和をもたらすのだ!」

 集まった者たちの声が湧き上がる。

 その手には鍬や弓矢など、様々なものが握られている。巨人を打ち倒すためにもたれた武器。それを握り締め、一丸となり天宮山を目指す。

 巨人を……ジャイを討ち倒すために──。



【第7章 響きわたる声】


  散り落ちる桜を見上げながら、ジャイはいつものようにアチャコを待っていた。毎日来るとは限らないアチャコだったが、待つことは不思議と苦にはならなかった。

 不意に人の気配を感じ取り、ジャイは桜の木から気配のする方へと視線を動かす。

 そこにいたのは鍬や弓矢などを構えた村の者と弓兵たちだ。

 村の者たちは息を飲み固まっていた。目の前にいる人ならざる者の姿に見入っていたのだ。橙色の髭に漆黒色の瞳。その者が巨人であることを示す、スキンヘッド。姿形もそうだが、何よりも屈強な体格に身を包んだその者の放つ雰囲気に飲まれていた。静かな威圧感はジャイの気によるものなのだろう。

「──私を討ちにきたのか?」

 先に口を開いたのはジャイだった。

 その言葉を皮切りに、村の者たちは我を取り戻し、口々に罵声を浴びせた。

 ジャイはその言葉の数々を静かに受け止める。いつかこんな日がくるであろうことは予測していた。人を食すことを罪とは思わない。生きるために必要なことなのだから。けれど、そうして生きている自分に対して胸を痛めなかったことなど一度もない。悲しみを体に宿し、食した者の歩んできた道を感じればなおのことだ。

 ジャイは静かに瞳を閉じた。

「私を憎く思うのなら、好きにすれば良い」

 思いがけないジャイの言葉に村の者たちはざわりと騒ぐ。しかし、それをチーフの凛とした声音が一喝する。

「何を怯むことがある。相手は巨人だ! 討て!」

 相手は憎むべき巨人なのだ──そう告げたチーフの言葉に村の者たちはジャイへと再び敵意を投げつけた。

「死ね! 化物め!」

 浴びせられる罵声。そして、その憎悪を宿した弓兵の矢はジャイに向かって放たれる。

 ジャイは静かに瞳を閉じたまま、それを受け止めるべく立っていた。

 しかし──

「ジャイ!」

 聞き慣れた声が耳に飛び込む。自分の名を呼んでくれる唯一の存在の声。それに驚き瞳を開いたジャイは己の目を疑った。

 

 
 ふわり、ふわりと舞う桜とアチャコの赤髪がゆっくりと地に落ちる。


 その胸には自分に突き刺さるはずだった一本の矢。


「アチャコ!」

 ジャイの叫びが響く。

 村の者たちや弓兵はそれにもかまわず矢を二人に向けた。

「アチャコ様は巨人に憑りつかれ穢れた。一緒に討て!」

 その声と共に怯むことなく矢が放たれる。

 その行為にジャイの頬に涙が伝う。自分に向けられる怒りや憎しみは、村の者がもって当たり前の感情だ。けれど、アチャコは違う。彼女は今まで村のために生きてきた。なのにためらうこともなく放たれる矢。

 悲しみが怒りを呼び、漆黒の瞳が紅く光った。

「何っ!?」

 村の者たちは目の前で起こっている現象に戸惑い怯える。

 二人に向けて放たれた矢は空に浮かんだままぴたりと止まり、力なく地に落ちた。

「人は愚かだ……」

 巨人はアチャコを抱き立ち上がる。ゆらりと揺れる橙色の髭と紅い瞳。屈強な体格に身を包んだ巨人の気高い気にそこにいたすべての者が飲まれる。

「アチャコが何をした? アチャコを弓兵に祀りたて苦しめ、あげくこの仕打ち。……人は愚かだ……」

 腕に抱く少女を見つめ涙する巨人に誰もが言葉を失った。

「ジャ、イ……」

 儚い声が響く。
 その声音がジャイの怒りと悲しみを緩やかに包む。

「去れ」

 ジャイは村の者たちを一蔑し、一言放つ。

 それでも身動きのできずにいる村の者たちに更に言葉を放つ。

「ここから去れ! でなくば、命はないと思え!!」

 凛と張り詰めた空気に響くジャイの言葉に、村の者たちは一人、また一人と逃げるように去っていく。



【第8章 心の証】


「ジャイ、ありがとう……」

 アチャコの細い声音が落ちる。村の者に手を出すことを望まぬ少女の心。それに答えたジャイに少女はそっと微笑む。

 命の翳りの見えるその微笑みにジャイの胸が掻き毟られるように痛んだ。

「アチャコ、人は愚かだ……なのに何故、お前はあの者たちを許せる?」
「それは……私も愚かな人だから……」

 アチャコはつぶやくとジャイの頬に手を伸ばし、頬を伝う涙を拭う。

「ねぇ、ジャイ。人を許してあげて。人は弱いわ……いつも何かを求めて、それに縋りながら生きている。でも、皆必死に生きているわ。生きるということはとても辛いから……。だから、求めずにはいられないの。そう、私も同じ……」

 細く呼吸を繰り返しながらアチャコは続ける。

「雪の中、あなたの涙を見たときにあなたの孤独を感じ、惹かれた……。それは私の中にあるものとよく似ていたから」

 幼い頃から弓兵として生きてきた。周りは皆、自分を弓兵としてしか見なかった。
 同じ年頃の子供のように母に抱き締められることもなく、叱られることもなく、ただ、弓兵としての村を守るためだけに生きてきた。

 それに不満を感じるわけではない。
 しかし、心の奥に芽生えてゆく孤独だけは押さえることができなかった。

「だから、私もジャイ……あなたを求めてやまない、愚かな人……」
「アチャコ……」

 アチャコの言葉にジャイの胸に不思議な感情が浮かぶ。それは、ジャイが初めて感じるものだった。

 目の前で儚く消えようとしている少女。

 自分から離れていく少女にジャイは恐怖にも似た感情を覚える。


 それは、孤独。
 それは、淋しさ。


「嫌だ、アチャコ。私を置いて逝くな……っ」

 初めて知った感情に子供のように怯えるジャイにアチャコは言う。

「ジャイ、私を食べて……」
「アチャコ……」

 ジャイは少女の言葉に切なく顔を歪める。

 そんなジャイにそっと微笑むとアチャコは続ける。

「私はあなたの魂の欠片になる。血となり、肉となり、私はあなたの中で生き続けるわ」

 そうして、ジャイは少女の最期の願いを受け入れた。

 頬に涙が伝う。

 見えなかった少女の孤独や悲しみ。そして、自分への想いが体の中に入っていく。少女が自分の体の一部となる。

「アチャコ……。お前と私はずっと、一緒だ……」

 散り落ちる桜のように儚く消えていった少女、アチャコを想いジャイは涙を流し続けた。心の証を。その悲しみが浄化されるまで。



【エピローグ】


 ふわり、ふわりと桜が舞う。巨人の涙を照らす月光が遮られ、闇夜に浮かんだ幻影を散らす。

(アチャコ……)

 今も自分の中に生きる少女に問い掛ける。

(あれから千年の月日が流れた。お前はまだ私の中にいるのか? それとも……)

 いつかこの世でもう一度逢えたなら。

(アチャコ、私は見つける。お前との約束だ)

 少女が与えてくれた、淋しさと愛しさと共に、どんなに辛くても生き続ける。幾千の時が流れても必ず答えを見つけてみせる。

『ジャイ……生きて、見つけて。あなたが生きている意味を。私はずっと、あなたを見守っている……』

 桜散る中、消えた少女の声音が響く。

 心の証で瞳を濡らし、いつまでもいつまでも散り逝く桜を見つめていた。



 夜桜の咲き乱れる木の幹で、儚い幻想に抱かれ優しき巨人は生き続ける。

 答えを見つけるために。

 愛しい少女との約束を果たすために。


 ふわり、ふわりと桜が舞う。

 少女がそっと、微笑んだ。


【小説】Clash of Clans〜未来の記憶〜

タイトル

 

 

 

「よし、バーバリアン6031番! こっちへ来い!」
「ふう、はあ……はっ、はい!!」

 息切れ紛れに返事をし、小走りに教官の元へと向かい、教官の目の前に背を向け佇む。

 そんな私の背中に教官は両手を添えると共に言葉を発する。

「アーミーキャンプで待機だ」
「はい!」

 ここでの待機とは、訓練卒業を意味する。

 私の返事を確認すると、教官は添えておいた両手で背中を押す。

 これは、厳しい訓練に耐えた若き訓練兵への期待を込めた教官なりの見送りなのだそうだ。

 押された勢いで、身体のムダな力が抜けた気がして、私は軽やかな足取りでアーミーキャンプへと向かった。 

+*+-+*+-+*+-+*+-

 訓練を終えた者は"ユニット"と呼ばれ、戦場へと力を注ぐことになる。ただし、初陣のみ新兵バッジを付けなければならない。

 そして、アーミーキャンプとは、そのユニットが待機する控え室みたいなものだ。 

 そこには、既にユニットであり、ずっと背中を追い続けた私の父、ジャンクがいる。 

 剣を武器に相手の陣形をめちゃくちゃにしてまわる恐れ知らずのバーバリアン種族の中で、父は最も実力があり英雄視されていた。

 種族は他にも、弓を使い遠距離攻撃をするアーチャー、お宝の略奪しか頭にない疾走のゴブリンなどがいる。

「おい、シム!」

 そう私の名前を呼ぶのが、尊敬する私の父。全ユニットを束ねる隊長を任されている。 

「訓練卒業おめでとう」
「ありがとう、父さん!」
「もうすぐ初陣だな、気合い引き締めて頑張れよ」

 そう言う父だが、何故か目が悲しそうだった。

 この時の私はまだ知らない。

 戦うことが如何に残酷な光景を生み出すことかを。

 父は私をほんの数秒ぎゅっと抱きしめると、頭に一回ポンと手を乗せ、キャンプ中央にあるキャンプファイアに足を運んだ。

 父はキャンプ場を見渡し、全員揃っていることを確認すると軽く頷き、出撃の合図をする。 

「総員、ちゅうもーく!!」

 父の大きな一言で、アーミーキャンプで待機中のユニットの話し声が消え、一斉にキャンプ中央に振り返った。

 普段の優しくて素朴な父とは違い、隊長という威厳がより感じられた瞬間だった。

 「これより敵クランへの出撃にあたって作戦を説明する!」

 クランとはいわゆるチームである。

 クランは城状にできていて、この世界ではクランの城を破壊することで、生活資源の入手、はたまた復讐心や達成感が満たされると共に戦場での勝利を意味する。

 何もしていないのに、攻められ村人を殺され、やがて復讐者へと移り変わる。

 反撃したり平和な村を同じ目に遭わせたり、こうして戦争は生まれる。

 どこのクランが発端かは未だ分からず、この復讐の連鎖は止まらない。

 愛する家族や兄弟、友人など、人それぞれ守りたい者や生活の為に戦うのだ。

「今回は2つ隣のJスポットンというクランを襲撃する。
毎回そうだが、毎日新兵がオラん達のクランに参加する。新兵は初陣に限り遠距離からの支援をしつつ、先輩たちの戦い様を学んでくれ!」

 父は新兵である私たちに作戦命令を伝え終わると、一呼吸置いて今度は全体に向けて言葉を放つ。

「ただ好きな人を守りたい、という願いがきっと一番強いんだ。きっと、村を守りたいなんて思って村を守る人はいない。オラはそう思う」

 周りを見渡すと、皆の目が見開いていた。私もそうだ。

 正直、村の為ではない。好きな人の為。私にもいる。大好きな恋人や生んでくれた母さんが。

「全力で戦おう! 作戦は以上だ。高台に身体を向けよ!」

 皆が誰もいない高台に身体全体を向ける。

 「敬礼!!」

 一斉に敬礼をする──何の意味が込められているのか分からないが──これは出撃前の儀式だ。

 十秒程高台に敬礼をした後、再び父が合図をとる。

「さあ、暴れにいこう!!!!」
「おおおおぉぉ!!」

 皆が一斉に敵クラン"Jスポットン"に向けて走り始める。

 ついに始まるんだ。初めての戦いが。

+*+-+*+-+*+-+*+-

 今回の襲撃には多くの死者は出ないだろうと村の長老チーフが予測した。どうりで新兵バッジを付けたユニットが多いはずだ。

 ユニット員は、自分も含めバーバリアン25体、アーチャー12体、ゴブリン8体、計45体うち新兵19体。

 作戦通りならば、私たち新兵は遠距離支援ならびに戦闘学習。

 私が先輩方の少なさに不安を抱いていたちょうどその時、1体のバーバリアンが駆け寄ってきた。親友ライカンだ。

「おう、シム。いよいよだな」
「ああ」
「オラこの初陣で活躍して、うちの母ちゃんに自慢すんだ」
「オラもだ」
「オラの母ちゃんな、オラに──」

 きっとこんなくだらない話をしているのは新兵だけだろう。

 先輩方はなんだか冷や汗をかきながら走っている。たまにチラッと新兵の様子を伺うと溜め息混じりに前へと向き直す。

 呆れているオーラが漂うその姿を後ろから見ていた私もライカンを肘で突っつき前に向かせて走ることに集中する。

 すると、次第に城状の建物が見えてくる。

 「止まれ!」

 隊長の指示により、残り4、5本の木を抜けたら敵の敷地内であろう所で皆が一斉に止まる。

 おそらく目の前に見える城が"Jスポットン"のクランだろう。

 「あそこの城がJスポットンだ。総員、息を整えろ」

 ゆっくりと深呼吸をして武器を手に構える。 その瞬間、さっきのおちゃらけのムードとは裏腹に妙な緊張感に身が包まれた。

新兵を始め、先輩方もまだ戦闘回数をこなしていないのか武者震いをし始めていた。

 その中でただ一人、剣を天へと掲げるバーバリアン、父さんだ。

 「皆にこの言葉を授けよう」

 全ユニットが静まり返る最中、自信げにそして笑顔でこう答えた。

 「毛は抜けても気は抜くな!」

 静寂に包まれるこの場所にいる者は、きょとんとした顔からみるみる内に頬が緩んだ。

 ああ、父さんは昔からそうだ。

 私が訓練に挫けそうになった時もお得意のオヤジギャグで元気付けるんだ。

 場が和み、さっきまで漂っていた緊張感がいっきに晴れた。だから隊長を任されたのだろう。

 「準備はいいな? 行くぞー!!」
「うおおおおおお!!!!」

 バーバリアン、ゴブリンの先輩方が先陣をきって駆ける。その後を私たち新兵とアーチャー部隊が駆ける。

 先陣をきった先輩方がJスポットンの敷地内に足を踏み入れた途端、大砲やアーチャータワー──俗に言う弓矢付きの見張り台──などの防衛施設がこちらを向いて反撃しだした。

砲弾や弓矢を数十メートルでなんとか避けつつ中央にそびえ立つクラン城に進撃する。

 Jスポットンは5メートルの壁で覆われていたが耐久性が低い為、バーバリアン部隊の一箇所集中攻撃で崩壊した。崩れた箇所から中央に潜入する。

 「さすが先輩! なあ、ライカン!」
「ああ! オラもあーなりてぇ」

 果敢に突き進む先輩方に感極まっていた時だ。急を抜くな! という父さんの遠回しの台詞をこのほんの数秒……私は忘れてしまった。

 「……痛っ」

 そして脚に走る痛みと共に私は下を見下ろすと、先端の尖ったそれは私の脚を貫いていた。

 「えっ……」

 もはや何が起こったのか分からない現状に驚きの一言しか出ない。

 「シム!! おい大丈夫か!?」

 尻もちを着いて脚を抱える私にライカンの叫びが響く。

 Jスポットンのアーチャータワーはそれにもかまわず矢を二人に向けた。 

「やばい、死ぬ! 殺される!!」
「くっうぅ……あああ」

 私たちの怯む声にためらいもなく狙いを定める。

 私たちに向けられる怒りや憎しみは、敵の村がもって当たり前の感情だ。

「もうだめだ……」

 しかし私が人生の終わりを悟った時、弓の弦を引いて放たれようとしたアーチャータワーが崩れ落ちた。 先輩方がアーチャータワーを破壊したのだ。

 「 一気に畳み掛けるぞおお!!」

 の掛け声で皆がクラン城へと突入する。

 ふと周りを見渡せば、既に大砲やアーチャータワーも破壊され、資源もゴブリン部隊の活躍によりすっからかんになっていた。

 「い、いける……! いけるぞ!」

 バーバリアンは剣を振りかぶり、アーチャーは矢を放ち、ゴブリンは殴りかかる。

 さすがのクラン城でもこれだけの一斉攻撃には耐えられず、あっという間に壊滅した。

 「よ……よっしゃあああああ!!!!」
「勝ったぞおおおお!!!!」
「うおおおおおお!!!!」

 勝利による歓喜のあまり、泣き叫ぶ者、抱き合う者、握手を交わす者などもいる。

 ただ矢に撃たれただけで何もしていない私も、この時だけは祝福のムードに乗り、隣のライカンと握手を交わした。

戦いを終えた私たちは、自分の村への帰路を歩いていた。いや、実際には私は歩いていない。

 脚に走る激痛で歩くにはとても苦しい私は、父さんに背負ってもらっている。

 そして、今日の自分の行動を告げて、ごめんなさい、と謝罪する。

 「そんなことはどうでもいい! いや、どうでもよくないが……お前が無事でほんっとうに良かった」
「…………」
「だが、その脚じゃ暫く歩けんだろう。完治するまで家で待機だな」
「はい……」

 父さんに促されるままに私は返事をする。

 初陣にして活躍せずに怪我を負い、しまいには待機命令が下る。なんてついてないんだろう。

 周りが歓喜で盛り上がる中、私はただただ呆然と地面を見つめていた。

+*+-+*+-+*+-+*+-

「ちょっとシム! あんた大丈夫なの!?」

 家に着くや母さんに心配される私。それは目に見えていたことだが羞恥心に駆られた。

 「まあでも、無事に帰ってきただけで嬉しいわ」

 今回の襲撃では、死人が少々出たものの、いつもよりは少ないという話を耳にした。

 私も危うく死にかけた身。だが、村は戦いの勝利と沢山の資源の話で持ちきりだ。亡くなった者の話など、その家族の者と一割の間でしかない。